海光堂今昔ばなし
海光堂昔ばなし(2) 震災後から現在
「天国に結ぶ恋」と喫茶店
店舗倒壊後も土産物の製造卸などを続けるなか、昭和7年(1932年)頃、「天国に結ぶ恋」という映画が大流行し、その流行にあやかって、映画の題名をもじった「天獄に結ぶ珈琲」を宣伝文句にした喫茶店をやっていたこともあったそうです。専門家から、コーヒーの淹れ方や、アイスクリームの作り方を習って、一生懸命、若かった初代店主夫妻は、働きました。
コラム「サーフボード今昔」
写真をご覧ください。
一方の、木製の洗濯板のようなものは、当時の人は「波乗り板」と呼んでいて、若者たちが海に持って行き、この板をボデイーボードのように使い波に乗って遊んだそうです。材質も遊び方も現代とは少し違いますが、波に乗るための板ということで、昔のサーフボードと呼んでいます。ひょっとしたらこのようなものも、店頭に並べていたのかもしれません。
長谷寺の門前に
土産品を製造、卸し、喫茶店の経営などやってきた初代ですが、喫茶店は、当時まだコーヒーを飲む習慣がなくて、お客様はごく少数。やはり、初志に戻り、土産物店をとのことで、昭和11年(1936年)、現在の場所での再開にこぎつきました。
ところが、世の中は、戦時色が増してきて、職人さんは、戦場へ、人々は、観光どころではなくなって、しばらくは、開店休業状態だったとのことでした。
戦後の復興とともに、少しずつ海水浴客もおいでになり、鎌倉在住の文化人たちの肝いりで、鎌倉カーニバルなどという賑やかなパレードも行われました。
観光ブーム到来
そうこうしているうちに、NHKの大河ドラマ「草燃えるで、鎌倉が舞台となるや、観光ブームといってよいのでしょうか、観光バスで、大勢のお客様がおとずれて くださるようになりました。
鎌倉関連の大河ドラマは、他に、「北条雅子」、「風雲児時宗」があったかと記憶しています。
2022年の大河ドラマは、またまた鎌倉が舞台となる、「鎌倉殿と13人」。どのような鎌倉が描かれるのでしょうか?
そして、歴史を訪ねて多くのお客様が訪れてくださることを期待しています。
「鎌倉へは何度でも行ってみたい。」と思っていただけるような、楽しい街に、親しみやすい店にと、従業員一同お待ちしています。
海光堂昔ばなし(1) 創業時から関東大震災
当店は、昔ながらのスタイルの土産物店です。ホームページなどは似合わないかもしれませんが、ちょっと昔ばなしをしてみようと思います。しばらくおつきあいください。
創業時
この店が始まったのは、大正12年(1923年)のことでした。
1889年(明治22年)、今のJR横須賀線が、大船・久里浜間に開通し、1910年(明治43年)江ノ電が、全線開通してから、当地には 別荘が多く建ち、避暑客や海水浴客が訪れてくださるようになり、賑わっていったそうです。
土産品製造
手仕事が好きだった初代店主は、同時に土産品の製造も手掛けていました。大仏様や歴史上の人物をかたどった土人形、貝細工など、現代の方々からすると、素朴で粗削りに見えることでしょう。
関東大震災と店舗倒壊
ところが、開店したその年の夏休みも終わった9月1日、関東大震災に襲われます。店も母屋も倒壊し、火事も地域全体に広がったようです。
希望に満ちてはじまった当店は、こうして1年足らずで終了となってしまいました。
(続く)
このページについて
ここでは、海光堂の歴史や、懐かしいお土産品の話などをつづっていきます。